水産学部附属練習船おしょろ丸就航100周年を迎えて
北海道大学水産学部長  原 彰彦 
 北海道大学水産学部は,明治40(1907)年2月に札幌農学校水産学科として札幌の地に誕生した。その2年後(1909年)に初代練習船『忍路丸』が建造された。
 『忍路丸』の船名は,当時の遠藤吉三郎教授の発案で,民謡江差追分本唄の歌詞「忍路高島及びもないが,せめて歌棄(うたすつ)磯谷まで」からとることになり,佐藤昌介学長が命名したものである。しかし,忍路を"おしょろ"と読む人は少なく,"しのぶぢ"と呼ばれることが多いので,II世からは『おしょろ丸』と平仮名に船名を変えて,現在,おしょろ丸W世として活躍している。初代忍路丸が就航して以来,本年で100周年を迎えた。
 初代忍路丸は,大正15(1926)年8月の第26次航海を無事完遂するまでの18年余,総航程約5万海里,乗船学生200有余名の本学同窓生の海洋における漁業実習の揺の場として活躍した。後に,少年団日本聯盟に移管され「義勇和爾丸」と改名して,海洋部練習船となり,昭和5(1930)年には御召船としての栄光に浴したこと,また,昭和9(1934)年には4ヶ月間に亘る延べ13,000浬の遠洋航海の壮途に使われ,我が国海洋少年団の心意気を海外に宣揚したとのことである。
 おしょろ丸II世は,昭和2(1927)年5月に建造され,始めは3本マストのバーケンタイン型の帆装で,スマートさと勇壮な船姿の船だったが,昭和17(1942)年には帆装が撤去されて汽船型となり一時期は軍用に徴用された。また,昭和20(1945)年7月の函館空襲では,米国機グラマンの機銃掃射を受けたが,幸いにも危難を免れ,昭和27(1952)年9月には,船体延長工事や主機関換装工事が施された。改装後は従来の漁業学科の近海乗船実習の他に,遠洋漁業科は北洋及び南方航海,増殖学科に沿海の漁業実習を含む海洋観測実習が加わることとなった。しかしながら,船齢30余年の船体の老朽甚だしく,昭和36年秋の最後の南方航海では,サイゴン港(現ホーチミン市)への入港前日に船底外板を破って機関室から海水が噴出し,あわや大災難となるところであった。昭和37(1962)年8月には,建造以来35年の長きに亘り,総航程30万余海里,乗船学生1,648名の揺籃の船として苦難と栄光の歴史を閉じものである。II世には後日談があり,昭和39(1964)年7月,日本最初の海洋掘削船「第一深海号」として生まれ変わり,日本周辺の海で各種海底調査に従事した後,昭和48(1973)年に尾道で解体され46年間の数奇な運命を辿ったおしょろ丸II世は永遠に姿を消したのであった。
 おしょろ丸III世は,昭和37(1962)年9月に建造され,船型は船尾トロール型で,可変ピッチプロペラ(竣工後はバウスラスター増設)を採用し,近代的海洋観測機器を搭載した最新式の漁業練習船であった。III世は,南方航海では国際インド洋調査(IIOE)や黒潮共同調査(CSK)に参加し,北洋航海では,日米加漁業委員会(INPAC)の日本側調査船の任務を持ち,調査海域は日本から遥か遠距離のベーリング海を担当した。また,昭和40(1965)年には,北方領土の水晶島及び色丹島への墓参団の輸送船として協力し,その後,昭和41年,44年及び50年の北方領土墓参に参加した。その後,昭和58(1983)年9月の第96次航海をもって,総航程518,000余海里,乗船学生3,150名と共にあったおしょろ丸III世は,その役割を終えた。奇しくも,おしょろ丸IV世が建造されている造船所の岸壁に係留されいている時にスクラップ(解体)が決定したのであるが,当時の船長であった藤井武治北大名誉教授は,後日,III世を総括して,こう語っている。「III世は就役以来その大半の航海が,我が国経済の急発展期に稼動する運命にあり,今までの三代練習船で最も幸せな船であった」と。
 現在のおしょろ丸IV世は,昭和58(1983)年12月に建造され,総トン数1,383トン(後に,1,396トン),船尾トロール型,可変ピッチ・バウスラスター装備で,ハイブリッド航法装置等最新の各種航海計器類,計量魚探機,トロール漁業解析装置等漁業監視用機器,電子計算機を装置し,調査・観測用機械器具及びトロール・ウインチ,マグロ延縄・流し網の漁撈機械類の油圧駆動化を図った新鋭練習船である。昭和59(1984)年6月のIV世初の北洋航海では,アラスカ州セワード,ジュノー及びハワイ州ホノルルに寄港し,200海里時代にも拘わらず寄港地の多くの方から歓迎された。また,昭和60(1985)年の南方航海では大韓民国の釜山に寄港,昭和61(1986)年の南方航海では中華人民共和国の上海に寄港,昭和63(1988)年の南方航海ではミクロネシア連邦のポンペイに寄港し,ポンペイの船上レセプションには当時のハグレグガム大統領夫妻が臨席されるという栄誉に浴した。また,平成14(2002)年からは,北大全学部学生中の志望者に乗船体験をさせるフレッシュマン教育航海が全学教育科目の一般教育演習として単位化され,北海道大学の附属練習船としての位置付けを得たところである。しかしながら,現在まで第199次の練習航海を行っており,既に船齢が26年にならんとしていることから,早い時期の代船建造が望まれるところである。
 このように,地球の約68周(約146万海里[約270万Km])に相当する距離を,100年もの永きにわたって世界中の荒海を駆けめぐってきた代々の『おしょろ丸』のこれまでの活躍を振り返ると共に,多くのおしょろ丸関係者が築き上げてきた100年の歴史の重さを深く実感し,士官・乗組員をはじめ陸上の教職員が一丸となって,次の100年への更なる飛躍に向けて思いを新たにしつつ,節目の年を迎えた『おしょろ丸』を祝福したく思う。